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主要点
1.冒頭説明 八木正典(シリア駐在経験者)父子50年以上続いたアサド体制は、2021年5月にはバッシャール・アサドが大統領任期七年の四回目の再選を果たしましたので、これで一応安泰なのかなと思ったら大間違いでした。二十世紀の中東の独裁者、三大独裁者と言われたサダムフセインとカダフィ大佐、そしてハーフェズ・アサド、この3人の中で、ベッドで死ねたのはアサドだけであるけれども、バッシャールはどうなるのか。ハーフェズ・アサド一家の中には4人の息子、ひとりの娘がいました。三男のマジドだけは、一番最初に病気で亡くなりました。長男のバーセルは1994年1月に、ダマスカス空港に向かって車を二百キロぐらいで走らせていたらしいですけれども、そこで交通事故を起こして亡くなってしまいました。これを受けて、英国で医学を学んでいたバッシャールが急遽本国に呼び戻され、ハーフェズの後継者としての途を歩み始めました。本人にとっても晴天の霹靂だったと思われます。ハーフェズの弟がリファート・アサドです。バッシャールのおじさんにあたりますけれども、1982年にハマでムスリム同胞団蜂起の動きがありましたが、鎮圧にあたって、一万人殺されたとか、二万人殺されたとか、いろんな説があります。一時期、権力掌握、ハーフェズが病気だったということもあって、権力掌握を試みて、その後回復したハーフェズによって遠ざけられ、欧州などに移動を余儀なくされたという経緯があります。次はバーセルが亡くなった時の葬儀の模様ですけれども、世界中から、特にアラブ世界からは首脳級の人たちが集まりました。エジプトのムバラク大統領もそこにいましたし、私もこの時にラタキアの弔問会場まで行ったんですけれども、アラファトPLO議長もその時、そこにいました。2000年6月にハーフェズが亡くなった時には、シラク仏大統領とかオルブライト米国務長官とか、そういう西側の人たちも、もう数多く参列いたしました。バッシャールがシリア政府を代表して弔問客への対応を行いました。バッシャールの妻アスマさんですけれども、パリで一緒に仲睦ましく散歩する写真も残っています。先代のハーフェズとはイメージが変わり、両者ともロンドンで勉強したことがあるということで、新しい時代の指導者になるのではないかと期待されました。アスマさんはスンナ派です。JPモルガンで働いたとか、そういう経験もあるキャリア・ウーマンでした。 バッシャールにとっての幾つか危機があったかと思いますけれども、私が一番最初に感じたのは、2005年2月の当時のレバノンの首相であったラフィーク・ハリーリ首相の暗殺事件です。首相は、搭乗車が爆弾で根こそぎ破壊され、殺害されました。その時に、シリアとレバノンのヒズボラの関与が疑われました。その後欧州とレバノンで特別法廷が開始され、その中でヒズボラの関与が疑われると、シリアのアサド大統領の関与も疑われたのですが、結局その裁判は途中で結論がはっきり出ないまま終了してしまいました。 第二の危機は2011年3月にシリアを襲ったアラブの春です。これが最終的には、バッシャールにとって致命傷になったわけです。アラブの春襲来までは、約30万人といわれたシリアのクルド人は国籍ももらえず、大半が無国籍者であったものの、アサド政権は、反体制派を分断するためにクルド人に国籍を付与しました。 第三の危機は、当初アサド政府軍は、軍事的に劣勢でしたけれども、2013年4月にレバノンのヒズボラがクサイルという町で、参戦し、そこから何とか盛り返すことができたということです。 第四の危機は化学兵器使用疑惑ということで、アサド政権が化学兵器を使用したのではないかということで、特に2013年、いくつかの都市で使われた疑惑が生じました。しかし、ロシアが介入してアサド政権が化学兵器禁止条約に入り、査察も受け入れるということで、当時のオバマ大統領もシリア攻撃を見送ったという経緯があります。 内戦の戦局が変わったのは、2015年9月30日からロシア軍が本格的に参戦したことによります。ロシアはソ連時代からタルトゥースの海軍基地を使わせてもらっていましたけれども、それに加えてラタキア近郊のフメイミム空軍基地の使用も認めてもらったということです。そして2016年12月には、シリア第二の都市アレッポがアサド政府軍、それからそれをロシアとイランとヒズボラなどがサポートして解放したということですね。 その後に、さらに2017年と2018年に化学兵器使用疑惑ということで、最初米単独、次に米英仏が攻撃を行ったけれども、単発で終わったということです。そして、アレッポは同年12月に政府軍に解放された後、2017年1月からトルコとロシアとイランが協力して、アスタナプロセスという緊張緩和と停戦に向けた協議が開始されました。 そして、当時のシリアの勢力図によれば、アサド支配の地区が6-7割くらいをカバーし、北東部(約2-3割)はクルド人が自治を行使しており、トルコ国境沿いのアフリーン、アザーズ・ジャラボリス間、テルアブヤド・ラアスルアイン間をトルコが越境進軍し、北西部のイドリブを、今のシャラア暫定大統領が率いていたHTSらのグループが主に押さえていたということです。クルド人支配地区に石油油田ガスが眠っているということで、クルド人はここから収入を得ているということです。 一方米国は、2020年6月にシーザーシリア市民保護法ということで、シリアのアサド大統領家族以下、関係者に極めて厳しい制裁を課しました。これでシリアの復興再建もかなりこの影響を受けて、レバノンの金融機関との連携もうまくいかなくなってしまいました。資金不足に陥ったことにより、アラウィー派内部でもめ事が発生し、アサドのいとこラーミー・マクルーフも自身が運営するシリアテル電力会社のトップの座から解任されて、財産をアサドバッシャールが没収したということです。 スンナ派が多いアラブ世界の指導者たちもアサド体制を最初は崩壊させようとしていました。けれども、アラブ世界指導者たちは徐々にアサド容認への立場を変化させていきました。アサドが2021年に四選を果たすとトルコも、これまでの姿勢を軟化させました。アラブの春が来る前まではバッシャールとエルドアンもそれなりに親しい関係にあったということですね。トルコ、ロシア、これは実務的な関係を重視し、アサドとの関係を維持していたということです。レバノンについては、2020年8月にベイルート港で倉庫の大爆発事故が発生したり、それ以外でも経済的に苦しんでおり、そのためイランがシリア経由で石油製品をレバノンに搬入したとかということもありました。その動きを見て、米国も承認の上でエジプト産の天然ガスをヨルダン、レバノン、シリアが協力してレバノンに搬入しようとの話が出てきました。 しかし、こういう中でアサドは危機を乗り越えられたのかなと思ったら、2024年12月、あっけなく権力を失ってしまいました。政権側は2024年11月27日アレッポから始まって、ハマ、ホムス、ダマスカス、そしてラタキアを失いました。わずか1週間10日ぐらいの話ですね。なぜこんなことになったかというと、シリア軍の中にイランやヒズボラとか、こういう人たちに反発する勢力がいて、その人たちの寝返りにあってしまったのだということのようです。反体制派を迎い打とうとしたイランの司令官は、反体制派に殺されたとイラン側では報じられましたが、実はアサド政府軍の司令官に殺されたようです。そして、イスラエル軍はシリアに対して、アサド政権が崩壊した2024年12月8日以降シリア国内350か所以上攻撃をしています。イスラエル軍は、2024年1年間にも、空爆347件実施しているということです。こういう中で、ロシアとイランは、アサドを守れなかったということです。特にイランについては、イスラエルとの交戦でヒズボラは大きな打撃を受けてしまっており、ナスラッラー書記長はじめ指導者が次々に殺害され、あれだけ空爆を受けていて、余力を失っていたことに加え、今回はロシアが本格的に参戦する意思が全くなかったので、イランだけでアサドを守るというのはちょっとあり得なかったようです。トルコとはシリア北東部を支配するクルド人主体のシリア民主軍(SDF)との関係をどうするかというのは一番大きな懸案の一つですけれども、トルコは300万人規模のシリア人難民を抱えており、さらに欧州等との関係でも、シリア難民が、本国が安全になったということで戻されるのかどうか、こういう問題もあります。 実権を握ったアハマド・シャラアは、もともとはアルカーイダ、それからヌスラ戦線、そしてシャーム解放機構、そして今暫定大統領となり、民主的な大統領であるように装っているのか、本当に変わったのか、そこがよくわからないということですね。普通の女性とのツーショットも披露しています。早速、25年1月新生シリア支援会合が、アラブ諸国も参加して開催されましたが、ドイツなんかもこの政権崩壊後の支援会合に出始めているということです。暫定政権側は、暫定財務相が公務員の給与を400%ぐらい上げるというような話をし、カタールが支援を約束しました。公務員にインセンティブを与えないと、やはり国が回っていかないということだと思います。そして、シャラア暫定大統領は2月2日、サウジアラビアを訪問し、メッカでウムラ(小巡礼)を実践しています。その際、黒い衣装を身にまとった奥さんを同行させています。奥さんは2月4日にはアンカラをシャラア暫定大統領と一緒に訪問して、エルドアン大統領夫人と会談しました。 シリアの中で最も権益を失ったかもしれないと言われている国がイランとロシアです。ロシアについては、シャラア暫定大統領がプーチンとの電話会談を2月12日に実施していて、シリア国内で不足しているシリアの紙幣をロシアが印刷して空輸しているというような話もあります。ですから、権益を何とか維持しようとしているような気がいたします。 そういう中で、新たにいくつかの不透明要素が登場しています。PKKの武装解除、解体要請、これは25年2月27日に獄中にあるPKK創始者のオジャランが発表して、3月1日にはPKKは停戦を発表しています。2月24日、25日にダマスカスで開催されたシリア国民対話会議には、クルド人勢力を主体とする35団体は招待されなかったということで、包括性に疑問が出ていたわけです。一方、イスラエルもシリア南部のドルーズ教徒の保護の必要性ということでシリアのダマスカス南部以降に軍を進めるなというような脅しもかけ始めています。そして、3月6日~8日にかけては。旧アサド政権を支えた側のアラウィー派を中心とする人々に対する虐殺事件が起こったのではないかということで、千人近くの方が殺害されたと報じられています。 そして、シリアの国民対話会議の最終声明では、クルド人主体のSDFを想定した武器の保有は国家の独占事項であるということと、公的な機関に所属していない武装組織は違法であるとみなされるとの発表が行われました。さらに3月10日には、しばらく距離を置くとみられていたSDFのマズルーム・アブディ司令官とシャラアが合意文書に調印したということで、全ての軍事機関をシリア国家の管理の中に統合するというようなことも謳われました。そして欧州もEU、それから英国は制裁の一部を解除し始めています。 問題意識ですけれども、一番目に、HTS暫定政権は復讐への衝動を抑えて国民和解を達成できるのか。二番目に欧米は早期に制裁解除を行うのか。三番目に暫定政権は政府の能力向上をいかに実現するのか。そして四番目に暫定政権はSDFとの合意を結んだけれども、実際には新しい暫定憲法宣言、これが3月13日にシャラアが署名してんですけれども、それに対してクルド勢力は猛反発しています。3月10日に合意を結んで、3月13日にはそれをまた批判しているということで、本当に武装解除を含めてうまくいくのかということです。それから、海外に逃れた六百万人規模のシリア人は、本国帰還を目指すのか。そして六番目にロシアは暫定政権に取り入ろうとするのかを伺いたいと思っています。はい、以上です。 2.本田圭氏(海外在住中東専門家)2024年夏頃にレバント地域に滞在していた際に、イタリアの駐ダマスカスの大使が任命されると聞きました。欧州も数カ国はアサド政権との関係をそれなりに維持した状態で、このままシリアの政権が続くという見込みの方針をとっていたように思います。一方で、国内ではエネルギーが不足し、公共交通機関が停止し、バスが動かないなど、非常にネガティブな状態にもあり、食糧に困る人々もいたようです。また、本来アサド政府自身も国際社会の支援が必要で、様々なことへの妥協しなければならないのにも関わらず、権力の誇示という意識が全面に出ており、リーズナブルさに欠けていたため、将来がない気もしていました。おそらくシリア人の人々も同様に思っていたのでしょう。そんな中、今回の体制転換が発生しました。アラブの春以前は、エルドアンとアサドの関係も比較的良く、エルドアンはアラブの春のシリアへの波及に対して当初こそ怒りを持っていたようですが、事態の進展に伴って関係は悪化し、シリア北部国境問題、アスタナ合意関連の協議等、ロシアやイランを交えて話をする中でも、アサドが頑固で妥協しなかったことがエルドアンにそっぽ向かせた理由でもあったのかなと思います。12月の政変について、現場レベルのシリア人や軍人は、イランのIRGCや親イラン勢力などがシリアに来てやってきたことに対する不満もあったでしょうし、その時点でのアサド側の軍隊は民兵の寄せ集めという感じもあったのかなと思います。そもそも、アサド政権・軍自体に実力がないのにも関わらず、ロシア軍とイランの勢力の存在に底上げされた状態で、アサド政権が自軍の能力など踏まえ、自身の姿を適切に認識できていなかったことも要因と思います。シリア人自身もそんなに豊かな生活も良くならない、未来も見えないという中で、アサド政権を強く支持しているわけではなく、仕方がないので現状に耐え、受け入れているという状態だったのではないでしょうか。 それから地形的なことで言うと、シリアでは町や村が分散しており、大体平坦な空白地帯が続く場所も多く、その先にそれぞれの村や町が点在しているため、結構攻めやすいというか、進軍しやすい印象がありました。ただHTSが政権をとったとはいえ、現在もシリア南部でのドゥルーズ教徒の問題や、あとタルトゥースやラタキアでもアラウィー派の方たちが多く殺害されるなど、様々な課題が山積しています。 気づきのポイントは、シリアは今まで西側に対して閉鎖的な姿勢を保っていたものの(バッシャール・アサド就任後よりアラブの春前までは歩み寄りが見えたものの)、今回のアッシャラア暫定政権になって以降、欧米との関係がよりオープンになる可能性が出てきたということは、西側諸国にとってはそれなりに嬉しいことではあるということです。アッシャラア政権の母体であるHTSがイスラーム主義勢力である点で思想的・体制的な懸念はあるものの、これまでのところアッシャラア政権の姿勢やコミュニケーションを踏まえ、懸念の程度が低くなっていくのではないかという期待もこれらの諸国側にあると思います。新政権メンバーと対話を重ねていく中で、比較的話ができる相手と捉えはじめ、アラブ諸国だけではなく欧米もそのように見ているように感じます。また、万が一、同政権が転覆した場合に更なるイスラーム過激主義勢力が取って代わることを避けたいという気持ちも働いていることも、シリア新政権を認めた方がいいと考える外国政府が多い理由だろうと思います。もちろん、今後制裁の解除や政権承認、支援含め、様々な条件がつけられることでしょう。 今後については、政権やアッシャラアの権威の正統性に対する疑義がどれくらい生まれるのかがポイントになると思います。政権は変わったけれども、実際の経済状態や人々の暮らしが改善された訳ではなくまた新政権に人々の不満を満たすことができる政策を講じるだけの資金もなく、物事の改善には至っていない。またアッシャラアと共に戦ってきた、彼よりもさらに過激なイスラーム主義者の要望を、新政権がどれだけ管理できるかという内部の話と、人権など国際的な要望も満たす必要があり、そのバランスをとる必要があること、またバラバラになったシリアの統一がどこまで実現可能かということだと思います。それから、イスラエルとの国境の問題があります。イスラエルがシリアに対して攻撃を継続しているのは、新政権の反応をテストしているのかもしれないし、もう少し大きな背景があり、他にはトランプ政権からの制裁解除を条件に、シリア新政権が何らかの譲歩を引き出すために圧力をかけているとか、帰結として例えば、相互不可侵条約を結ぶだとか色々な可能性も考えられます。トランプ政権発足後、国際情勢が急速に動く中で、シリアについてもパズルの一つになり得る可能性もあると考えています。 難民の話がでましたが、昨年、国連が難民・避難民の自主帰還に関する調査を行っており、どのような条件下であれば彼らが帰還するのかという調査をしていました。難民・避難民の回答の中で最も高い帰還の前提条件は、治安の安定でした。シリアの治安が維持されれば、それが帰還の理由になると。もちろん行政など普通の国家としてのシステムが整うことも条件であります。現況では、シリアの将来が見えない中では、シリアの人々が帰還するという段階には至らないのではないかと思います。 3.新井春美氏(トルコ研究者)シリア政府へのトルコの関与対応ということでまとめてみましたので発表させていただきます。まず、トルコとシリアの関係を簡単に振り返っておきたいと思います。トルコとシリアは国境線を長く共有していますけれども、緊張関係が長く続いてきました。緊張関係の原因としては大きく三つあります。一つは国境付近のハタイというエリアをめぐる対立、それからチグリス・ユーフラテス川の水資源をめぐる対立。これは最終的にはまだ解決しておりません。それから、PKKをめぐる対立というものがありました。転機となったのが、1998年にアダナ合意というものが結ばれまして、当時のシリアはトルコの圧力によって、PKKのリーダーであるオジャランを国外追放します。オジャランは逮捕されまして、関係改善への一つのきっかけとなったわけですが、劇的に関係が良くなったのはエルドアン首相の時代になってからです。トルコはノープロブレム政策という外交を展開しており、近隣諸国との関係を良くするということですね。その一環として、シリアとの関係もどんどん改善していきます。経済においても、もちろん政治においても関係改善を進めていきました。それがまた険悪な関係になっていったのが、アラブの春発生以降になります。シリア国内においても反体制派運動が起きまして、アサド政権はそれを弾圧すると2011年8月にトルコのダウトオール外相がシリアを訪問しまして、シリア国民への弾圧を中止するようにアサドに要請します。これをアサドが拒否するわけですが、これ以降、トルコは反アサドの立場を鮮明にしていきます。このトルコの決定ですけれども、当時先程のノープロブレム政策と合わせて、トルコは地域の中心国家になるのだという外交を展開していきました。さらにトルコモデルというものが宣伝されていた時期でありまして、エルドアン率いるAKP(公正発展党)のようにイスラム色の強い政権下、ムスリムの国家であるトルコだけれども、民主主義がきちんと確立されて経済発展を遂げている。そんなトルコをモデルにして、アラブの国々も新しい国を作っていったらいいのでないかみたいなことがもてはやされていた時期なので、トルコとしては、自分たちは中心国家になるのだ、さらにモデルなのだみたいなプライドがあって、それでシリアに民主化要求、アサド退陣を要求したものの、拒否されるということになったわけです。先ほど御指摘いただいたように、アサドの頑固さにエルドアンは、ちょっと辟易としたと言いますか、そういうところがあるのではないかと思います。 また、この関係が変わりそうだったのが、アサド政権が思いのほか長期化しまして、アラブ連盟の復帰がありました。その後、エルドアンはアサド政権との関係修復というのを公言するようになったわけですが、2023年8月の報道では、エルドアンの会談呼びかけに対してアサドが拒否した、といったことがありました。ロシアの仲介などもあって、会談がうまくいくのではないかと見られた時もありますが、結局失敗に終わると、それがのちのち反体制派の攻撃へゴーサインを出すきっかけになったのではないかと、これについては後ほどまたコメントいたします。 トルコは反体制派の背後にいたわけですけれども、エルドアンとしては、シリアにおいてはスンニ派の体制ができることを希望していたのではないかと見られています。ですので、いろいろな支援をしたわけですけれども、例えば反体制派のイスラム過激派勢力に加わりたい海外からの人々がトルコからシリアに入国する、それを黙認しているとか、あるいは支援していた対象もイスラム諸組織になります。シリアのムスリム同胞団や、自由シリア軍を支援してきました。それからサウジやカタールとともに、報道によってはサウジやカタールの要請でというのもあるのですけれども、過激派のための秘密基地というのをアダナの町に建設していたというふうに言われています。ちなみに、アダナというのはインジルリク空軍基地があるところです。 そして、アサド政権崩壊前後の様子を見てみますと、先ほど言ったような、トルコが反体制派に攻撃のゴーサインを出したと。こういう分析もあれば、2024年11月の下旬ですが、情報提供しかしていないとか、いろいろ諸説ありますが、いずれにしても相当深く関与していたことは事実で、ロシアにも情報提供していたと言われております。ここを時系列に並べておりますけれども、反体制派がアレッポを攻撃した11月27日、イスラエルとヒズボラの停戦も発生しております。その後、11月30日から12月1日、12月3日にかけて、トルコのフィダン外相がアメリカのカウンターパートと電話会談を行っていますし、エルドアンとプーチンの電話会談も行われています。12月8日、ダマスカス解放、つまりアサドがロシアに脱出したときですけれども、ここら辺の流れも、イスラエルの動きと合わせて見てみますと、アメリカを中心にしてイスラエルとトルコによる連携プレーが行われていたのではないかという見方もできるかなという感想を持っております。 アサド政権崩壊後ですけれども、トルコも近隣諸国との協力を推し進めているところです。ただ、イランとは批判合戦になっておりまして、外交官・大使召喚なども行われております。アサド政権崩壊を見まして勝負をつけるとすれば、トルコは勝ち組といいますか、漁夫の利を得たというような見方が多いようです。なぜかというと、シリアの新体制が、トルコの息のかかったスンニ派組織であるからということになります。そして、ロシアやイラン、あるいは米軍が撤退すればさらに、それら諸国の影響力が低下するということは否定できません。 ではどうしてこういう状態にたどり着いたかということですけれども、トルコは限定的な介入にとどめていました。つまり、シリア本国、シリアの広い地域での直接の軍事介入を控えていたということがあります。もちろん、国境付近のクルド地区には軍事攻撃をしていましたし、トルコ軍でも犠牲は出ていますので、ダメージがゼロというわけではないのですけれども、大規模な軍事介入は限定していたということがあります。ですので、ダメージが少なくて済んでいると。一方で、政治的にはアスタナ会合、アスタナプロセスなどを通じて深く関与していました。こうしたプロセスを通じて、ロシアやイランとの関係は維持できていましたし、反アサドという点では、アラブ諸国やアメリカ、イスラエルとはちょっと微妙なところですけれども、関係は維持できていたのかなと。それが漁夫の利といいますか、勝ち組と言われるものにつながっていたのかと考えられます。 今後、トルコはエルドアンと言っていいと思いますが、難民が帰ってくれればいいなということは強く考えていると思います。トルコは大量のシリア難民を抱えていますけれども、大統領選挙を初めとして内政の争点になってきますので、帰ってくれたら嬉しいと思っているはずです。それから、国境地帯の安定ということも考えているということでPKK(クルディスタン労働者党)とは停戦合意に達しました。シリア新政府とクルド勢力のSDFが3月10日に合意しています。これに対してはエルドアンも歓迎すると言っていますけれども、これはトルコがシリアのSDFに対する攻撃を完全に停止するのかということについては、まだ不明ではあります。それから新体制への支援もできたらいいなと。特に復興ということになれば、トルコ企業が進出できます。既にそれを見込んでトルコ企業の株価が上がっているということもあるようです。また、兵器の輸出も期待できるのではないかと言えます。つまり、エルドアンとしては国内向けには、難民、和平、経済の分野でうまくいけば支持率アップにつながるということですし、外交においては、最近トルコは、ピースディプロマシーのハブになるみたいなことを言っていますので、うまくいってくれれば、さらにトルコのプレゼンスが上がるのではないか、上がってほしいなと思っているかと思います。 以上、ざっとではありますけれども、トルコの関与と対応についてまとめてみました。 4.ケイワン・アブドリ氏(イラン専門家)イランとシリアの関係を歴史的な視点でちょっと整理した上で、アサド体制崩壊以降、イランの受けたダメージとか、今後の政策について考えてみたいと思います。アサド体制の崩壊がイランにとっては多分世界の他のどの国よりも大きなダメージになっています。アサド体制のシリアは地域でイランの唯一の同盟国と言っても良い国でした。イランに他に同盟国がない。それでその唯一の同盟国の体制が崩壊したということは、国際関係、地域関係的に、ロジ的にそしてある程度経済的に大きなダメージになっています。かつての80年代の対イラク戦争の歴史に、アラブ世界でリビアもそうだったのですけれども、シリアがアラブ世界で唯一イランを支持した中で、バアス党同士の対立関係、あるいはアサドとサッダームフセインの人間関係にも大きく影響うけているかと思いますが、それが、イラン政体の正統性や軍事的にもイランにとって大きなプラスになったということと、戦争が終わって90年代にイランにとってその関係を維持したいということで、新しい、やっぱり機構を作りたいこともあり、その中で反イスラエル戦線、といっても大体反米に過ぎないのですけれど、それをかつてのいわゆる革新アラブ戦線に変わって、イラン・イスラム体制と反イスラエル勢力が力をつないでの政治的同盟関係を作ろうとして、その中でやっぱりシリアは大きな存在になりました。一つはヒズボラのことが大きく絡んでいます。この関係は、2000年代となるとやっぱり変わり、代替わりしてバッシャールの新時代になると、政治的同盟関係だけではなくて、経済的にもシリアへの関与を強めていきます。その要因はやっぱり石油価格の高騰です。2000年代で余っていたお金を活用し、イラン国産の車の組み立てをシリアでやるという形でずっとやってきて、ずっと赤字は続いていたのですが、まあそういう経済的な関係も強めてきました。ただ、転換点のアラブの春では、信頼できる情報源からは、イランがシリアに軍事介入するきっかけを作ったのは、ソレイマニIRGC(イスラム革命防衛隊)司令官で、彼に説得されてプーチン(ロシア)がシリアに介入すると、それは当初限定的で空軍だけだったのですけど、それを地上戦で支えたIRGCが介入することで、結果的にイランの民兵やアフガン民兵、パキスタンの民兵組織など想定を超えた部隊を投入することにつながりました。説明もありましたけれど、2010年代後半のシリアでは安定したアサド体制ができたように見えました。けれども2024年の年末にああいう急展開が起きて、それに向かっては様々な理由があるでしょう。トルコなどの国々の介入とかっていうのも大きな要因となり、ただ多分そこから見るべきだというなら、やっぱりシリア国内でアサド政権を守ってきたIRGCやヒズボラがかなり体力を失っていて、余力はなかったって言ってもよい。あとでちょっと触れますけれど、その中にイスラエル、アメリカがじゃまをしたからという説をイラン指導部から言い訳として話していることもあります。アサド体制が崩壊して、イランにとっては唯一の同盟国であったシリアを失ったことで、これは政治的に、地政学的にイランに対して大きな敗北になっており、いろんな意味を持っている出来事です。ある意味でパラダイム転換のきっかけになるとも言えるかもなるかもしれないということで、イランから見ると、国内政治、対外関係と考えると、やっぱり国内政治って呼ばれているのが反映されており、なぜならイランの外交は、イスラム革命防衛隊を通じて、特に地域政策はハメネイが決定権を有しているということです。それがイスラム革命防衛隊が進めてきた政策なのです。約十二年間、経済的あるいは軍事的に関与し、当時のイランは、シリア内戦で約5千人が亡くなっているという推定もあるので大きな犠牲を払いながら、国内あるいは国外で大きな批判を受けながら結果的に敗北したということです。さすがにハメネイを名指しで批判というわけにはいかないのだけれど、イランの対シリア政策を国内のメディア、あるいは保守系の中からでさえ批判の声はかなり出ています。イランにとって、今後の地域関係、あるいは対米関係などで抱えている課題を考えていると、イランの地域政策において大きな武器あるいは手段となっていたのが非政府武装集団プロキシィと呼ばれている民兵組織の中で、とりわけヒズボラが最も重要な組織だったのですが、それを失ったということで、戦争で大きなダメージを受けています。だから武器などロジスティックや資金提供はだいたいシリアを通じて行われていたのですけれど、それはできなくなっている。シリアでイランが失ったコストを指摘されると戦略的深度とも訳されていますけれど、イランはそういう資源を失ったっていうことであります。イランを敵視して、あるいはライバル視している国々の関係でも、かなり、いわば域内のパワーバランスが変わったことで、対イスラエル関係でも、対サウジ関係だけでなくその他の国とも変わってきています。これもさっき指摘はありましたけれどイランとトルコの間の非難合戦がかなり熱を浴びており、外務大臣つまり政府高官から批判が出て双方の関係はかなり悪くなっています。今後シリアの新体制との関係回復というのが見通せない中で、シリアで失った資源をどういうふうに別の方法で獲得が確保できるのか非常に難しいということが多分にあると思います。だから、この域内政治において、超大国のアメリカとか、あるいはEUとの関係だけではなく、地域においても、イランはかなり不利な立場に立たされている状況です。最後に言うと、ハメネイ師はしばらく公の場でこの問題に触れることはなかったのですけれど、言い訳をして、アサド政権を支援したかったけれど、イスラエルとアメリカに補給路を寸断していたので支援できなかったということを言ったり、あるいは権力を握ったのはテロリストで、勇気あるシリア人の若者は再び立ち上がって、シリアを再び動かすだろうという幻想の世界によくあるとおり逃げ込むような見方を示しているので、やっぱり対シリア関係について何をすべきか分からなくて、やっぱり受けている本当のダメージを十分に測ることができていないと言えます。以上です。 5.高橋雅英氏(MENA専門家)中東におけるロシアの動向ということで、これまで民間軍事会社のワグネルをずっとフォローしてきています。今、ワグネルはロシアの傘下にアフリカ軍団という名のもとで、また活動しています。そうした中でロシアの軍事的プレゼンスも、タルトゥース海軍基地やフメイミム空軍基地、ならびに北東部にカーミシューリという空軍基地がありまして、これが一体どうなっていくのかというところで注目されております。シリア内戦、2015年にロシアが介入して、民間軍事会社のワグネルも地上部隊という形でシリアに入りまして、そこで正規軍と連携するように戦っております。このシリア内戦に介入した後、今度はリビア内戦でロシアのワグネルが活動拠点を広げていきます。最終的には空軍基地四つほどを拠点化しております。これはワグネルがロシア国内で騒乱を起こした時も、ワグネルへの締めつけというのが強まるんじゃないかと思われていたのですが、とりあえずリビアでは特段問題なく活動しています。今の傭兵が、サブサハラ・アフリカのマリであったり、中央アフリカ、最近では、ニジェールであったりブルキナファソといったところにも拠点を広げております。そして現在このリビアの北部、南西部のところに、地図上では出ていないのですが、ここにマーティン・サーラ (قاعدة معطن السارة الجوية)空軍基地というのがあり、このリビアの下の方に位置しているところですが、ここリビア南西部のところで新たに、ロシアがですね、空軍基地を拠点化するような動きが今、衛星の分析で示されておりまして、これがちょうど昨年の12月末からブルドーザーであったり、ロードローラーなどで大規模にインフラ改修工事を行っているというところですね。今後、シリアの空軍基地が利用できなくなった場合でも、このリビアの空軍基地を通じて地中海に影響力を講じることができるとみられています。先月2月に入ってから、またスーダンの東部の公海上のポートスーダンですね、ロシアが海軍基地の建設合意が2017年に結ばれたバシール政権時代に結ばれたものをまたこう再起動ということで、今度は合意の履行という形で海軍基地の建設をスーダンで進めようとしているところです。ですので、今のところですね、ロシアはシリアを使えなかった代替オプションということで、リビアであったり、スーダンというところでいろいろと軍事力のプレゼンスの維持というのを図ろうとしています。今回、エネルギーの方のところについては特にちょっと私もあまりシリアを取り巻くエネルギー情勢、詳しくないので、特段コメントはございません。 (コメント)そうすると、とりあえずは、フメイミム基地を失ってもなんとか代替できると言うことなのですね。(高橋氏補足)港湾の方につきましても、今、リビア東部のトブルク港の方で何とか寄港とか、そういう体制を構築できないかという側を、いわゆるハフタル側が支配するエリアですね、そこでまだ交渉しているということで、仮にタルトゥースが使えなくなっても、リビアの港で代替するというようなところを検討しているのではないかかと思います。 6.長澤栄治東大名誉教授(エジプト社会経済史はじめ中東研究全般)最初にアサド政権の崩壊なのですけども、これは偶然との出来事なのか、それともやっぱり背景を見ても、確たる根拠はないのですが、親イランの弱体化という状況を踏まえ、イスラエル、ロシア、アメリカの三者が一応の合意のもとでこういうシナリオが進んでいるのではないか、という印象を持っています。その場合、トルコとかEUとかは、その外側にいるのか、みたいな感じがしております。全くの憶測ですけども。新政権の権力者、ジャウラーニもイスラエルの占領下にある「ゴラン」という出身地の名前を変えてシャラと名乗っていることに見るように、決してイスラエルには手出しをしようとしない。今だから空爆され放題なわけですけど、あえてちょっとでも敵対的な態度をとっていないということではあり、そこら辺の合意があるのじゃないかなという気もしたんですね。それで今回の事態を考える上で、私は以前に書いた論考(「中東近代史のもう一つの見方―アラブ革命の5年間を振り返って」『現代中東を読み解く アラブ革命後の政治秩序とイスラーム』明石書店2016年)で示した、中東において国のかたちを作る三つの力という枠組みで少しお話ししたいと思います。三つの力の第一は外部からの介入ですよね。二番目は特に軍部は中心にした上からの西洋モデルの世俗主義的な国家建設(トルコのアタテュルクなど)で、三番目がイスラム勢力による下から国のかたちを作ろうという動きです。この三者が拮抗する中で、近代中東の国のかたちができていたのではないか、と書いたのですが、今回の場合は下からの力ということになります。サウジアラビアの建国をもたらしたワッハーブ運動だとか、例えばムスリム同胞団なんかもそうなんですけど、下から国をイスラム的なかたちで作ろうという動きが出ていました。今回は、アサド政権という上からの世俗的な、近代的な国を作ろうという体制を崩壊させてしまったということが言えるのかなと思っています。ただ、ちょっとそれでは分析が足りなくて、さらにもう一つの側面を加えて考えないといけないと最近、考えています。既に、例えば、新井さんが指摘されたトルコ外交の中心国家論とか、トルコモデルとかいう議論が示すように、そういう域内にあって覇権的な力を作ろうという動き、中心的な国の動きという側面に注目して見ないといけないと思うのですね。 たまたま3月17日に東大安田講堂で有名なイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリさんという人が講演をするということがあって、それに対して今回のガザの問題で非常に怒っている若者たち、学生達から、それに抗議しようという動きがありました。いくつかYouTubeで見たら、ハラリさんはとんでもないことを発言しているのが分かりました。確かに相当問題のある人だなっていうことを分かったんですけど、その中の発言として、イランが覇権的な力で中東に覇権的な体制を作ろうとしている。それに対して今回は、この覇権を求める勢力の力が結局大きく損なわれたって言うのです。じゃあそんなこと言ってて、イスラエルはどうなんだということは言っていないのです。その覇権的な性格に言及することなく、レバノンのヒズボッラーやハマスを叩くことによって、この地域に覇権的な力を及ぼそうとしていたイランの勢力を抑えることに今回かなりそれが成功したと指摘しています。 さて、確かに中東では、国のかたちに大きな影響を与えるそういう域内で覇権的な力が興亡した歴史があります。たとえば、ナセルのエジプトが五十年代、六十年代に、この中東全域でなくても東アラブとかやっぱり地域的な限界はありますけども、一定の覇権的な力を及ぼした時代がありました。それはエジプト自身や周辺国の国のかたちに大きな影響を与えました。そういうこともありましたが、エジプトはサダト政権以降、政策を転換し、エジプトファーストという政策をとって地域的な覇権を求めるということから手を引いたのです。そういう形で今日に至っており、せいぜいナイル川の水問題でスーダンに影響力を及ぼして、エチオピアに対抗するとか、リビアの内戦にも介入するとか、非常に限定的な、そういう他国への介入行動はしていますけども、覇権的な行為はしなくなりました。 それはその後、アラブ世界のヘゲモニーをほぼサウジアラビアが握るようになったことにつながります。それに対抗するのがカタールです。ではカタールの力の背景に何があるかということなんですね。一方、イランの覇権を求める動きはシーア派の革命的な行動という形をとっています。イスラムにおける宗派主義の拡張政策として、つまり国家というよりはシーア派運動としてのイランの行動を見てみるとまた別の動きにみえてきます。どうも我々は国家とか非国家とかそういう形で分けちゃうけども、イラン全体を見ていると、シーア派のイスラム主義勢力が国家権力を持った状態で、それが対外的に大きな影響力をイラクとかレバノンとかシリアとか、あるいはヒズボラやハマスに及ぼしているという具合に見た方が良いかもしれません。 他方、スンナ派のムスリム同胞団を中心とする勢力は、域内において依然、大きな影響力を及ぼしています。リビア内戦の後には、その政権側の方にムスリム同胞団が入っていますし、今回のシリア新政権にも同胞団系の勢力が加わっていると聞きます。トルコが漁夫の利を得たかというのも一種の影響になっています。トルコは国家として自ら覇権を狙っているという地域的な覇権諸勢力でありますけど、そういう下からのイスラムの動きは、アルカーイダとかそういうのではなくて、自らの運動の成果として、そういうまともなイスラム的国家のかたちを求めるというような動きとして存在する。確かにそれらは連帯しながら存在し続けるのではないかと思います。 何が言いたいかというと、さっき言ったような欧米、ロシアなど外からの介入とか、バアス党政権のような上からの政権や、かつてのアタテュルクのような上から世俗的なかたちで国を作る力とか、下からのイスラムの動きとか、そういうレベルじゃなくて、それらを超えたところで状況を見てみると、違う形での展開が見られるのではないかという気がします。そういうことでは、実際、シリア内戦の頃も、そういう過激な反アサドの勢力を、欧米や域内で覇権を握っているサウジとか、そういった国からの支援があったと見られており、これをダイナミックに見ていく必要があります。また、イスラエル自身が覇権を求め、またそれに成功しつつあるように見えるからこそ、そういう域内で覇権を求める勢力同士の関係という形で見ていくと、今回のアサド政権亡き後の新政権下の将来も見えてくるのかなという気がします。 はい、ありがとうございました。はい。なかなか中東の三つの力ということで、非常に興味深いお話でした。それでは。 7.猪口相氏(エネルギー問題専門家)今週ぐらいですかね、二つぐらいシリア関係で注目すべき事件があって、一点目が、これが今週の前半にロイターとブルームバーグがそれぞれ出したんですけど、ロシアからの燃料を積んだタンカーがシリアに向かっているというニュースが入ってきました。このニュースは多分、外貨のないシリアが今決済なんかできる状態にない状態じゃないと思うので、どうやってこのお金を払うつもりなのか、積んでいるのが原油とかじゃなくてディーゼルとか石油製品らしいので、おそらく車とか、あと発電所に場合によっては使ったりするのでしょうけど、シリア情勢についてどういう意味があるのか。これがひょっとしたら、先ほどから何回か出ていたロシア軍の基地を維持するためのものになるのかもしれないし、ちょっとこれがどういう意味なのかっていうのが、ちょっとまだタンカーが着いてはいないのですが、いずれ着いた時点でいろいろ出てくるかと思います。実は今週ですね、近隣国のギリシャとキプロス、イスラエルの外相が集まって、三カ国で集まったのが3月13日です。その前にギリシャとキプロスが集まって、それぞれ宣言らしきものを出して、イスラエルからヨーロッパにエネルギーを供給しましょうという構想がいくつかあるのですが、そのうちのイスラエルで生み出した余剰電力をヨーロッパに送るために送電線網をやりましょうという構想があったものの、これまでは領土問題とかで進まなかったのですが、これについて新しく宣言を出しました。つまりこれで進むのかというかなり前向きな話が出ているのですが、これに対しては、皆さんご存じのように、トルコが大反対していて、なおかつ反対しているのは領土問題とかもあるんですが、トルコとしては実はここら辺の天然ガスとかエネルギーの通過点で、ヨーロッパに住んでいる人々に活用してほしい、欧州に向けたエネルギー供給のハブになりたいという思惑があったりとか、あと自国を資源国というか、ガスの供給国としてもデビューさせたい、といってもあんまり量的にはたいしたことはない自国産ガスの一部とかをそこにつなげたいっていろんな意味があるようですね、実はギリシャや欧州が主導する構想に、トルコと並んでもともとここらの周辺国では唯一入ってない国というのは、実はシリアだったのですね。シリア以外の国は、例えばレバノン、実はこの構想に入っていて、オブザーバーとかでは国際会議とかそういう場で議論に入っていて、そういう意味では、トルコはこれで今まで見かけなかったにもかかわらず、味方らしきものが出てくるかもしれない。それに対する反応なのか分からないのですが、今回の共同宣言を見ていると、シリア情勢に対して非常に注意すべきであるみたいなことが書いてあって、今回の対外的に公開されている会合自体は、エネルギー関連の気候関係会議なのですが、それが何を意味するのか。一つ考えられるのは、ギリシャ、キプロス、イスラエルの報道とかを見ていると、領土・領海問題、トルコと先程軍事の話ででたトルコとリビア、あと、ここでの間の境界線っていうのは、トルコとそれ以外の周りの国が考えているのとは、国境に関していろいろ異なる考え方があると。そういった意味では今回の宣言が今後、どのように議論となって進んでいくのか、トルコの反応をちょっとまだ確認できていなくて、反発しているのだけは見たのですが、反発の内容を見ていても、ご存じのようにキプロスをトルコはギリシャ系キプロスみたいな言い方を英語でしていますよね。今までどちらかというとシリアもトルコやどちらかって言うとリビア、それに近い考えみたいな感じでしたが、やっぱりヨーロッパの人から相当言われたのか、最近、領空領海問題についてはちょっと言い方が変わってきているようなところがあるので、そういう中で、この問題に対して、自分たちの味方が増える、抜け穴が増えるということは、これまた色々といちゃもんをつけるというところでは、今回のこの三か国の間で共同宣言は、お前ら文句言うなよみたいな感じで結構、釘を刺しているのかなと。ちょっとこの二つは今週聞く話なのですが、シリアとかの関係ではちょっと注目していてもいいのかなと思いました。 以上で、あんまりシリアの情勢の専門ではないし、シリアそのものはそんなに資源量がないし、もしシリアが正常な状態になったとしても、元々そんなにいっぱい石油やガスを産出しているわけではない。シリアの石油ガスは元々データもないし、量もないですし、そう考えると世界的なマーケットの関連ではあまり(シリア問題は)影響力はないのですが、関連情報を注視しているというところです。 (コメント)はい、ありがとうございます。二点の事例についてご紹介がありましたけれども、一点目のロシアのタンカーがシリアに向かってというやつは、EUが2月24日に制裁を緩和していて、エネルギーの供給については。とりあえず制裁を外していますので、ロシアからというところが問題でしょうけれども、今のシリア復興の流れには乗っかっているなという気がいたしました。二点目は、東地中海ガスパイプライン構想のことでしょうか。 (猪口氏)二番目についてのギリシャ、キプロス、イスラエル間には、東地中海ガスパイプ構想はあったのですが、ガスパイプラインは実はお金がかかり過ぎるというのと、米国が、同国が支援するのをやめると言った瞬間にプロジェクトが消えつつあって、また細々とは残っているんですが、今のメインはイスラエルとかイスラエルとかの地域で発生させた電力を送電線までつなぐためのグレートプレインターコネクションっていうやつですね。要するに送電線結ぼうと。とりあえず、今進んでいるのはギリシャとヨーロッパ、ヨーロッパとギリシャの間が繋がっていますので、ギリシャとキプロスなどをつなぎます。そこから先をどう使うかっていうのはまた議論があるのですが、ほとんど今はイスラエルだろうという感じになっていますので、できれば、エジプトは、本当は自分のところにも繋いでほしいし、電力需要があるのであって、部分的には、エジプトの方にも来てほしい。そうすればエジプトは季節によっては足りない時もありますから、電力が丁度よくなるというそういう風な思惑があります。ただ、米国はどちらかっていうとイスラエルに接続できる国を支援しているということです。石油会社メジャーもそちらの方を支援しているというのが現在の状況ですね。 補足ですが、このロシアからシリアに石油製品を運んでいるタンカーを運営しているのは、ドバイの会社ですね。しかもアメリカの制裁の対象になっているドバイの会社ですね。目的地は出ていますね。これロイター3月6日付のやつですね。その後も何回か報道が出ているのですけど、その後消息がよく分からなくなってしまったと。いずれにしろ、タンカーがシリアに向かっており、それはアメリカの制裁がかかっているタンカーでありますと、ご参考まで。 (追記)この研究会参加後、確認した、米国時間の3月13日付けのAPと欧州時間の14日付けのロイターによれば、カタール政府(カタール基金)が米国の承認を得た上で、ヨルダン経由でシリアにガスを供給するとの話が報じられており、こちらは国内の発電用に使われるとのこと。ちなみに、カタールもUAEと同様に、イスラエルから欧州まで電力網やガスパイプラインを繋ぐ事業への参加が何度か報道されています。 ありがとうございました。最後に、村瀬さんの方から今回HTS政権の治安部隊などにはウイグルなど外国人部隊も入っているということです。 8.村瀬一志氏(情報セキュリティ専門家)シリアの現政権側にはウイグル人がいるわけですね。ウイグル人は中国で弾圧されているとみられています。タイでは何百人かの単位でウイグル人が拘束されていて、つい2月にも四十人くらい中国に送還されたりしていて、これに関してトルコ国内で何年か前ですけれども、暴動みたいなのが起こってですね、中国の公館とかタイの大使館を襲撃したという事件があったわけですね。トルコ人二人にちょっとこの辺を聞いてみたのですけれども、そもそもトルコ同士だから支援しているのか、イスラムだから支援しているのかというと、イスラムかどうかは関係なくて、トルコ人の起源は実はウイグルである。東トルキスタンという名前の通りですね、ということなのですね。では、今、シリアにいるウイグル人たちがその勢いで中国を襲撃することになるかというそういう報道もあるのですけれども、それはどう思うかと聞いてみたら、ウイグル人は遊牧民族みたいなものだから、そこら中にいるだけで、多分そんなことはしないだろうと言っております。某大学の学生サークルが、ウイグルへ古着を送ろうというのをやったら、中国大使館から電話かかってきてやめろという話があったとかですね、そういう話があったので、中国は、日本国内の学生の運動にすら関心があるのだなと。ということですね。 結論的にはですね、シリアで戦っていたウイグル人たちが何か暴動を起こすとか、日本国内にいるウイグル人が結束するということはなさそうですよね。そして一部報道されているような懸念、つまり中国に対してなんらかの行動を起こすという可能性は、全然無さそうだなということです。以上です。 【質疑応答】Q1 とりあえずそれぞれ興味深い発表でとても勉強になりました。ありがとうございます。時間が限られているので、ぜひ長澤先生にお伺いしたいということで、3つの力という先生の分析ベクターなるものを存じておりましたが、ちょっと時代が変わったっていったということが前提にご意見をお伺いしたいです。下からのイスラム主義勢力が90年代、2000年代アルカーイダ系が、2010年代にISISが出てきて、その後、1年間だけでしたが同胞団が政権を奪取しました。トルコのような柔らかいイスラム主義国家もありますが、イスラム過激暴力主義は完全に敗北していると思っていますので、ご意見を伺いたいのです。一方、エジプトの同胞団とかヨルダンの同胞団とかはそのままでは成り立たず、古いままのイスラム主義だと変わらなきゃいけない。だから、権威主義的な要素を残しながらも、女性の権利とか少数マイノリティ、特に宗教的マイノリティという観点では、それだけではリベラル体制を牛耳ることはできないのだろうけれども、思想的に柔らかくならなきゃいけない。ある意味で国を統治できるよう体制に大きく変えなきゃいけないと考えています。もう一つ、それと関係してイランは、唯一イスラム革命を経験しています。下からの力って言えば世俗主義です。その中でナショナリズムの要素が強い勢力もあれば、そうではないリベラル勢力もある。いろんな潮流があるんですけれど、中東では、アラブ世界やトルコも含めて、こういう世俗的勢力が政治社会システム体制を変える可能性はあるかどうかという点について見方を教えていただければと思います。(答) (長澤先生)その三つの力というのは、ケイワンさんも一緒に書いた『現代中東を読み解く』(前掲)で説明したところなのですけど、下からのイスラム的な秩序を作る動きに限定しないのですよね。いわゆるイスラム主義ではなくて、サウジアラビア王国を作った力だとか、十九世紀末にマフディー政権がスーダンで成立したこととか、いろいろな緩い、もっと広い形をとってきたのですね。いわゆるポスト・イスラム主義って言われている。イスラム主義が終わったとして、ISの登場とその崩壊っていうか、失墜を機に、日本でも全共闘の学生運動の例にあるように、日本の左翼運動が全部後退した、そういうイメージでイスラム主義全体を捉えているという人も多いのではないかなと思います。確かに急進的なイスラム主義は衰えたし、また2012-13年のエジプトのムスリム同胞団の政権運営の無残な失敗というのがあって、これをどう見るかという問題はあります。ただし、やっぱり今回のシリアの新政権だとか、リビアの政権では、同胞団系の勢力だとかが主体となっていますし、依然として今地下に潜伏しているエジプトのムスリム同胞団だとか、これでそういう勢力がおしまいになったということはないんじゃないかなと私は見ているのですよ。依然としてそういうイスラム的な秩序を求める人たちって結構潜在的に多いのではないか。エジプトの無残な失敗が同胞団の拙い政権運営はそうだったかは、別の問題ですけど。いろいろな見方があるものの、依然としてそれを方向性があるのではないかと思っています。ケイワンさんが指摘されているトルコのエルドアンさんも革命の時には、俺たちは見習えと言ったのだけど、全然できてないって言って失敗しちゃったという経緯があるのです。だからまさにそういうことが、シリアの政権には求められているのではないでしょうか。欧米側は、女性の教育をどうするとか、マイノリティをいじめているのではないかとか、アフガニスタンでタリバンに対して行ったのと同じようにチェックをしていますよね。これまたそれが制裁の根拠を形成しています。これは全くの欧米の限定した見方のどうしようもないところだと思っていますけども、しかしそういう圧力をかわすだけでなくて、やっぱりそのイスラム的な秩序を作るってところで、イスラム枠内で女性の懸念をどう考えるか、マイノリティとの関係をどうするのかと考え、イスラム国家を作ったとき、マイノリティにいてどう考えるべきかとかねってことは問われてくるのではないかとは思っています。まあ、ケイワンさんがおっしゃるような方向性が取られているのではないでしょうか。各国の状況も違いますしね。そういうとこでトルコが影響力を持つかどうか分かりませんが、でも私は、それと関連して、私のモデルでは、下からの力はイスラムだけなのです。実際、歴史的には確かにイランでの革命の立憲革命とか、エジプトの1919年革命ですとか、52年革命の前の様々な社会主義運動、共産主義運動の力だとか、まあ2011年のアラブの春とかあるのですけどね、問題はそういう力が育ってないのです。経済史的な見方をするとブルジョア的な発展が足りないのです。ブルジョア的な発展ができれば、そういう市民的な力が出てくるけど、そういうまともな勢力がエジプトなんかでも育っていませんね。だから軍部が出てくるのですよ。イスラム主義勢力が出てくるわけです。私もそうで、下からの世俗的な市民的な力が出てくるといいなと思っています。でも現実ではどうかというと、所得水準が上がっても、いわゆるブルジョア的な発展というものがないのですよ。 トルコの場合はそれがあったと思うのですよね。それがだから結果的にエルドアン政権につながっています。トルコのポスト・アタテュルクのブルジョア的発展っていうのは、エルドアンというイスラム主義勢力のように、それに対して反対する市民的な力もありましたけど、そういっても、イスラム的なブルジョア的な発展、イスラム・ブルジョアジーがあったわけですね。トルコの場合も、下からの力に負けているわけですから、結果的にいろんな手を使って警察権力を使って弾圧しているという立場ですよ。だから、仮にエジプトとかそういうところでムスリム同胞団なんてと思わせるものの方が、あれはブルジョア的なムスリムによるイスラム主義的なブルジョア勢力だったのですよ。 亡くなった友人のエジプト人研究者もそのように分析しています。彼が言うように、イスラム・ブルジョアジーの同胞団は軍部ブルジョアジーとの権力闘争で敗れたのです。そういう見方も私はできるなと思っています。そういう意味では、サウジアラビアだってそういう具合に見ていくと石油という冨に支えられたイスラム・ブルジョアジー、欧米と結託していますけどね。だから私は、国のかたちを決める三つの力の枠組みを崩す形で市民勢力が出てくればいいと思うけど、しかし出てくる勢力も必ずしも世俗的な勢力ではないのかな、とは思っています。 (ケイワン氏コメント)イランの場合は、世俗的勢力が出てくると期待しています。希望的観測ではありますが。 ありがとうございました。非常に面白いお話でした。ご質問ありますか。 Q2 ケイワンさんにお聞きしたいのですけれども。イランの大統領が何か全然目立たないような気がするのですが。さっきもね、最高指導者があんまり良くない状況に追い込まれてとお話したけれども、ハメネイさんに代わって大統領が前面に出てくるのでしょうか。 (答) (ケイワン氏)イランの制度・構造の問題なのですよね。日本の例えでよくあるのは、イランのハメネイ師は実はフランスでいえば大統領であって、イランの大統領はフランスでいえば首相である。だから今、フランスの首相の名前をご存じな方は手を挙げてください、といっても、誰からも名前が出てこないと思います。イランの大統領はハメネイ師とはそういう関係だからです。そこに体制の正当性、正統性ということが出てくるので、多くの場合、大統領を犠牲にするということはよくあります。では、出てきた話が長くなるのですけれど、大統領は一発選挙の結果となって誕生している。ただそうかと言えば、多分そうではないと思います。特に大きなきっかけは何かと言いますと、イラン核合意、今年の10月で10年目になります。10年目になると国連で安保理による制裁が終わりを迎えます。ただ一方、この問題は全然解決していない。その取り決めの中にスナップバックという(国連制裁を復活させる)項目が入っていますので、それをアメリカやヨーロッパがスナップバックを行使するかもしれない。それを遅らせるために柔らかい顔を持っている大統領が出てきたり、大統領に国民的人気があったりとか、それを改革という旗を上げたりすると、ハメネイさんは困ります。あんまり冴えない大統領だからやっぱり、構造的にもハメネイが生きている間にこの問題は解決がないと思います。 Q3 シャラアが3月13日に暫定憲法宣言というものに署名しています。その内容を見ると、戦争犯罪とか人道とか大量虐殺、並びに旧政権の行った行為、それは免責にはならないというようなことを盛り込んでいます。それから、旧アサド政権を称賛したりすると犯罪になるとかというのもあります。さらに大統領には緊急事態宣言できるとか、そういうようなことも入っているんですね。シリアのアサド政権時代は、西側というのは非常に閉鎖的であったけれども、新体制になって欧米はいきなりオープンというか、開放的になっているということだけれども、今後注目を集めるのはレジティマシーというか、シャラア政権の正統性ということで、これに疑義が生じると問題が出てくるのではないかというような趣旨のことをおっしゃったと思うのですけれども、今回、アラウィー派の人たちが、市民が千人近く殺害されたというような話も出ていますけれども、欧米というのはもう制裁解除に乗り出していますし、今後、シャラアのグループがかなり際どいことをやっても、欧米はそれを見逃すというような動きになると思います。これはちょっと答えが難しいですけれども。 (答) (本田氏)つい最近英国政府関係者とお話する機会があったのですが(欧州でも)どのように対応すべきかという方針が決まり切っていない印象がありました。新政権に対してはある程度、支えざるを得ないのかなという感じもいます。もちろん制裁の解除交渉や国連決議などを利用して駆け引きや支援条件等も示される可能性はあります。3月27日のブリュッセル会合にアッシャラア暫定大統領を招待する話ありますし、シリア国民会議の実施や、クルド勢力との合意や女性・少数民族の権利などそれなりの動きもあり、勿論できていないことも多い一方、取り組んでいることもあり、それをどう捉え、バランスをみるのか、ということかと思います。欧米やアラブ諸国、例えばUAEは当初新政権に対する大いなる懸念を持っていましたが、アッシャラア暫定大統領やシャイバーニー暫定外相と話をしてみると意外と印象が良く意外と話を聞き、話が通じるということを認識したことから、かなり姿勢を変えてきています。ですので、再びシリアが混乱に陥るよりは、やはりこれらの人物の方がベターということで、パーフェクトではないけれども、それ以外の選択肢にはちょっとリスクがあり過ぎるという点が、各国の姿勢の背景にあるのだと感じます。 Q4 例えば、リファート・アサドがドバイに逃げたと、レバノンからというような報道もなされているのですけども、現地にいると旧アサド政権派の人たちが逃れて、それをUAE政府が受け入れているというような報道はあるのですか。 (答)(本田氏)現地UAEでは報道がありませんね。しかし元々そのアサド元大統領の姉や、姉家族、母親も滞在していたという話もありましたから、逃避先として可能性はあり得るとは思います。UAEは、湾岸諸国の中で一番最初にアサド政権と関係を再開した国でもありますので今回の政権転覆という事態を受けawkwardだった側面もあったかと思います。UAEは、アサド政権の時からシリアとの間でビジネス交流を始めていましたが、シャイバーニー外相がUAEを訪問した際に、在UAEのシリア人ビジネスマンたちとの面会を承認したりしています。ですので直接的な経済的な支援という形は、制裁が影響して今はできないものの、間接的な支援等についてはUAE政府も暗黙のゴーサインを出しているので、例えば制裁解除等の動きには至らなくても、実質的には認めた形で、シリアとの関係を築いていくのかなっていう感じがしています。 (コメント) (司会)今、アフマド・シャラア政権を支えるには、エネルギーも必要だし、色々な物資を提供することも必要だと。それをロシアが代わりにやり始めてるいということで、ロシアの動きがどうもきな臭いですよね。さっきおっしゃっていましたけれども、一番冒頭に今回の事件というのは、ロシアは最初からもう戦うつもりなかったのですよね、アサド政権のために。ですから、イスラエルとロシアとアメリカが何かの形で手を組み組んで、この結果をもたらしたのではないかと私はそう思う。ですから、イスラエルがものすごい空爆をやってきて、その一年前も空爆をやってきて、大変な被害をシリアに与えていましたけれども、ゴラン高原についても2024年11月のしかも事態が動き出す前の段階でも、ゴラン高原の地域の防衛網を強化しているという報道もあったのですよね。ですから、イスラエルは身構えていたのですね。それから、プーチン大統領はHTS部隊は350人ぐらいしかいなかったにもかかわらず、HTS武装グループがアレッポに入って、約3万人ぐらいいるはずのシリア軍を簡単に破ったということを言っているのです。HTSのグループが(停戦合意中の)イドリブから出て攻撃に成功すると思える背景が何なのかというと、やっぱりこれはイスラエルとかアメリカが後ろでサポートしていて、ロシアも動きませんというような、何かそういう情報がないと動けなかったと思うのです。ですから、今回はやっぱり裏でイスラエルとアメリカが手を組んで動き出した。それを誰も止められなかったということなのかなと私はなんとなく感じています。皆さんどういうお考えを持つかですから、そういう流れの中でロシアがエネルギー、石油製品をいち早く運ぶとか、それから、まだアサドの顔がついた紙幣ですね、紙幣を印刷して、少なくとも二回ですよ、空輸して流通できるようにしているのですね。ですから、ロシアは、今回の件についてはかなり事前にキャッチした可能性もあるし、少なくとも動き出した時点ではもう反対しないと、どうぞやってくれということだったのだろうと思います。 |