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砂漠とペルシャ湾、オマーン湾に囲まれたアラブ首長国連邦。 私は時々UAE人の車に同乗し、砂漠を駆け回る。 2020年11月末、私はオマーンとの国境付近の砂漠で一夜過ごした。 |
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夕方に仕事を終え、アブダビから2時間ほど車を走らせ砂漠に集合。 | |
羊肉や牛肉を焼き食す。 私が以前パレスチナで働いていたということで、ヘブロン出身のパレスチナ人がカナーフェの材料を持ってきており、食後に作ってくれた。 | |
パレスチナからUAEに来て8年。 こちらで食べるカナーフェの味に満足できず、自分で作るようになったそう。 私も同じ気持ち。家に材料は用意してあるけど、作るには至らず。チーズと材料とプレートを砂漠に持ち焚火で調理。 私の目指す姿。 | |
火を囲んで過ごす。ドバイ首長国のUAE人2人、シャルジャ首長国のUAE人、ヨルダン出身のパレスチナ人、ヨルダン川西岸地区南部ヘブロン出身のパレスチナ人、エジプト人、そして私。
私は3時くらいに眠くなり、一人火から離れ、UAE人の友人が用意してくれたテントに向かう。満点の星。流れ星。これまた貸してもらった寝袋に入り込む。初めての砂漠寝だったが、安眠。
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トイレはその辺でする。 砂漠には砂丘があるので、昼でも夜でも砂丘を越えれば、人に隠れてできる。 しかし、モンゴルではそうはいかない。 広がる大草原。見渡す限りの大草原。 私は女性なのだが、初めて一人旅したインドで、サリーを着たインド人女性らその辺で用を足している姿を見て以来、旅中はズボンではなくロングスカートをはくようにしている。 お尻が丸見えにならず、いかなる場所でも用を足すことが可能。 利便性、羞恥心、大胆さのはざま。 |
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朝8時頃目が覚める。 みなまだ寝ているので、用を足すついでに砂漠を散歩。 あれ、なんか白い。 |
この白いのは何だろう。 塩ではない。 石灰? オアシスの近くなので、地下の水と関係しているのか。水が溜まり、この成分だけ残ったのか。 砂丘の高さは地下水量によって変わると聞いたがあるが詳細調べていない。 ただ砂漠に雪が積もったようで不思議な光景。 |
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色んな動物が砂漠を旅している模様。 |
友人が朝のお祈り。 開けっ放しのテントを覗くと厚めの伝統服コートのみ。 私に寝袋を貸してくれていたようだ。 その事実を私に伝えることもなく。 寛容。 そして砂漠の紳士。 |
砂漠歩きから戻るとヘブロンのパレスチナ人が起きていた。 サバ―フ・ル・ヘール。 目覚めにカルダモン等を入れたアラビックコーヒーを。 |
朝ごはんは、目玉焼き、ハルモニチーズ焼き、パキスタンのパンとアラブのパン・ホブス、ザアタラ、ホムス、パレスチナ人が持参したヘブロンの実家から送られてきたオリーブ。 懐かしい。 |
朝食を終え、砂漠を走る。 迷子にならないように其々高く旗を掲げている。 レッツゴー。 |
高い砂丘からは周囲が見渡せる。 全部砂漠だけど。 |
あ、ラクダ。 足が結んであるから、誰かの所有物だろう。 |
更なるラクダの連隊。 月の~砂漠を~と口づさむ。 |
砂漠のど真ん中にラクダ。 想像に難くない光景であるけど、私はアラビア半島の砂漠の国で暮らしているんだな、という実感とじわじわくる感慨。 |
砂漠の風景は砂丘を越えるごとに違ったりして、結構面白い。 朝10時頃から、15時すぎまで砂漠で走る。私は用事があるので、アブダビに向けお先にさようなら。 |
帰り掛け、周りを見渡して気づく。 結構緑があるところだったんだな、と。 基本的にオマーンとの国境付近はオアシス地帯であり、Braimiオアシス領有を巡ってUAEとオマーンは係争中であったが1974年に決着したそうだ。 |