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令和5年(2023) 7月 新井 春美 松長 昭 八木 正典 村瀬 一志 他一名 長澤 栄治(東京大学名誉教授) |
中東イスラム世界社会統合研究会(略称MEIS)では、2023年7月1日、去る5月に実施されたトルコ総選挙、大統領選挙を踏まえての拓殖大学講師新井春美さんによるプレゼンテーション、松長昭さんの総合コメント、ならびに参加者との質疑応答、意見交換をオンライン形式で行ったところ、概要次のとおり。
1.新井講師プレゼンテーションまず投票結果からみてみましょう。大統領選挙については、5/14に過半数をしめる候補者がいなかったため5/28に再投票となりました。現職エルドアン大統領vs野党6党統一候補クルチダルオール共和人民党(CHP)党首との一騎打ちとなりました。前回3位だったオアン候補はエルドアン支持にまわり、エルドアン大統領が約52%の得票率で、得票率48%弱のクルチダルオール候補を振り切り当選しました。今後5年間、トルコの大統領として職務を継続します。いつもながら、大統領支持派と野党候補支持派の地域的な支持傾向ははっきりしていました。世俗的で経済的に裕福な人々の多い沿岸部やイスタンブル、アンカラといった大都市は野党候補支持、内陸部や農村部は大統領支持に色分けされ、地震の被害が大きかった地域やクルド人の多い南東部でもエルドアン支持が目立ちました。
在外投票では、英米で、クルチダルオール支持が多かったものの、欧州最大のトルコ系住民を抱えるドイツでは、エルドアンが勝利しました。日本は、野党候補支持が大統領支持を上回りました。 また、選挙キャンペーンに関する報道量にも差があったようです。2023年4月1日〜5月1日の間、国営通信社であるTRTは、エルドアン大統領の選挙キャンペーンをライブ演説で32時間流しました。与党と協力関係にある民族主義者行動党(MHP)のバフチェリ党首は25時間であったものの、CHPのクルチダルオール党首についてはわずか32分、優良党(İyiParti)のアクシェネル党首はわずか 10分であったとのことです。さらに、公正発展党(AKP)は有望な対抗馬を事前に排除しました。エルドアン大統領の有力なライバルとみなされていたイマモール・イスタンブル市長(CHP)を事前に「法的」に排除しました。同氏を、選挙管理委員を誹謗中傷した罪で禁錮2年7月余と政治活動禁止(2022年12月)にしました。そして、2023年1月には、検察が入札談合に関与した罪で起訴しました。結局、イマモール氏は、大統領選挙には立候補できませんでした。また、クルド系政党HDPの元共同代表のデミルタシュ氏も人気がありますが、2016年以降収監されており、2018年の選挙には獄中から立候補しましたが、今回は断念しました。
新内閣人事では、大幅に入れ替えが実施されました。保健相と観光相の2人のみが残留し、13人が新規の閣僚でした。テクノクラートが多く任命されたことも特徴で、原点回帰の様相も呈しています。ただし前の閣僚も引退したわけではありません。とくに注目される人事を3名あげておきます。
今後の展望について、民主化はAKP政権下で進むのでしょうか。エルドアン政権も初期には民主化を促進しました。2007年からは、委任型民主主義を実行してきました。
民主主義の後退をもたらした要因は、実は民主化を促す要因でもありました。
まとめれば、エルドアン支配下のトルコは権威主義国家であるともいえます。自由で公正な選挙で権力を獲得しても、その後にルールを変更し、のちの選挙競合に制限を課すようになった場合も権威主義といえます。現在のエルドアン支配もその典型的な例といえます。2016年のクーデタ―未遂事件を利用し、反対派を排除することで国家の支配を「個人化」しているといえます。
トルコに民主化のチャンスがあるとすれば、エルドアン大統領の退任しかないと思われます。そのための外圧について、トルコはEU加盟をあきらめていないが、国際情勢が「トルコ優位」に展開しています。ウクライナ情勢、シリア情勢、トルコが3百数十万人規模で抱えている難民問題でも、そういえます。
2.松長昭(トルコ専門家)
3.質疑応答
(編集後記)MEIS共同運営者(八木、新井、村瀬)2023年5月28日のエルドアン大統領の大統領決選投票勝利で心から安堵した外国指導者は、ロシアのプーチン大統領であったことは疑い得ない。NATOのメンバーで、かつG20のメンバーでありながら、対ロシア制裁には加わらず、欧米とロシアの橋渡し役も演じることができるエルドアン大統領の存在は現在の国際政治の微妙なバランスの中でも際立っていた。プーチン大統領は、政治的立場が異なりながらも、シリア内戦、リビア内戦、ナゴルノ・カラバフ問題などで、エルドアン大統領との間で、停戦の実現等に貢献し、一定の信頼関係を醸成してきたとみられている。しかし、そのエルドアン大統領のプーチンへの姿勢に大きな変化、いいかえれば、「見限り」ともいえる姿勢が感じられる。それは次の点に集約される
これらのエルドアン大統領の動きをどうとらえるべきか。もちろん、米国からのF16戦闘機供与の承認などが貢献したことは間違いないが、ひとつ指摘できるのは、エルドアン大統領は、対外的に強い意見を表明していた問題でも、ある日突然豹変したように立場を変えることである。2015年11月24日、ロシア・トルコ国境付近の空域で、ロシア軍機がトルコ軍機に撃墜された。プーチン大統領は、「後ろから刺された」として、エルドアン大統領に激怒し、その後半年以上、両国関係は冷え切っていた。しかし、2016年6月27日、ロシア大統領府はロシア軍機撃墜事件に絡み、トルコのエルドアン大統領から撃墜機の遺族に謝罪する書簡が届いたと発表した。トルコ大統領府報道官もエルドアン大統領が書簡で「深い遺憾の意を表明した」と述べた。これをきっかけに両首脳は、度重なる電話会談、対面会談を繰り返し、シリア内戦の緊張緩和を実現していった。これはエルドアン大統領がプーチン大統領を、物事を動かしうる強い大統領とみなして評価していたためであったと考えられる。一方、エルドアン大統領は、2018年10月2日、イスタンブルのサウジ領事館で、有名なサウジ人ジャーナリストのジャマール・カショギ氏が、本国からの政府関係者15名に殺害された事件で、当初関与を否定していたサウジ・アラビア政府ならびに事件の責任を負っているとみなしたサウジの実質的指導者ムハンマド・ビン・サルマン(通称MBS)皇太子の責任を徹底的に追及し、サウジ政府の関与を認めさせただけでなく、独自にトルコでの欠席裁判まで実施し、追及の手を緩めることはないとみられていた。実際、2018年11月末のアルゼンチンでのG20サミットでは、エルドアン大統領は、MBS皇太子とあいさつも交わさなかった。しかし、2022年3月、トルコ検察は、26名のサウジ人の欠席裁判追及プロセスを中止し、2022年4月28日にはエルドアン大統領はサウジを訪問し、何事もなかったかの如く抱擁を交わした。エネルギー価格高騰、インフレ、為替安などで悪化する一方のトルコ経済の立て直しをサウジなど湾岸産油国の支援も受けて立て直す必要性を感じていたものとみられる。これも、エルドアン大統領が、ロシアのウクライナ侵攻後のエネルギー危機をうけて、欧米各国がサウジへのアプローチを再開し、もはやMBS皇太子にカショギ殺害事件の責任を問う姿勢を放棄したことを敏感に感じ取って方向転換を行ったものとみられる。そして、今回、6月24日、民間軍事会社ワグネルは、ロシアの首都モスクワにあと約200キロという地点まで部隊を進め、プーチン大統領は、ワグネル指導部を、「裏切り者」、「背中を刺した」と非難した。同じ日、ロシア空軍機が、ワグネル戦闘員に撃墜され操縦士が死亡したとされる。 エルドアン大統領は、今回の事態の収め方に、これまでのプーチン大統領には感じられなかった「脆弱さ」を感じ取ったに違いない。欧米からみたエルドアン大統領のプーチン大統領の「守護者」のような振る舞いが、自分の地位を脅かしかねない、プーチンとはいままでと同じように付き合っていくことのリスク、危険性を敏感にかぎつけたのではないか。これで、プーチンの孤立感と焦燥感が一層拡大していくことは間違いない。天然ガス供給や原発、観光客の受け入れなど、経済関係を強化してきた両国の実務的関係が、いきなりなくなるわけではないが、プーチンが維持してきた有力な外交上のパイプが失われれば、ウクライナ危機が好転するのではなく、むしろ不安定化する可能性も排除できないことを認識しておく必要があろう。その兆候は、7月17日、ロシアが黒海を通じた穀物輸送合意の延長反対を国連等に通告したことに現れている。この危機を、エルドアン大統領が収めることができるのか、再びエルドアン大統領の手腕と、プーチン大統領との距離感が注目されている。 (以上)
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