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パレスチナによるUAE支援物資拒否事案が意味するもの

令和2年(2020) 5月
本田圭




1 序

 日本を含め各国の「支援」は、人道的な理由だけでなく、支援する側の短期・長期の利益に基づく観点から行われている。新型コロナウィルス感染症の蔓延に際し、湾岸地域に位置するアラブ首長国連邦(UAE)も、国内での感染拡大に対処する一方、首長国連邦の実質的指導者ムハンマド・ビン・ザーイド・アル・ナヒヤーン・アブダビ首長国皇太子が「政治は横に置き、人道的な対応を」と述べたように、世界各国に向け医療物資や食料などの支援を加速させており、5月23日付で国営通信社が報じているとおり、これまでに欧州諸国を含む54カ国に対し、641トンの支援を実施している。UAEは、先日も中国から調達した支援物資を,中国から直接英国に向けて飛ばしたが、極東に目を向けると、中東の一国ヨルダンから日本への支援物資が送られていた。時代は変わったものだな、とも思う。
 そんな中、5月後半にパレスチナ自治政府がUAEからの人道支援物資の受け取りを拒否するという事案があった。本件はパレスチナ自身について、そして取り巻く情勢の複雑さも絡み、支援する側の意図や受け取る側の「受け取るという意味」について改めて考えさせる一件であった。
 本稿では、UAEのパレスチナに対する人道支援を巡る一件を通じて、移ろいゆく「アラブの大義」と、UAEのパレスチナに対するメッセージにつき考えてみたい。


2 イスラエルに到着したUAEのパレスチナ支援物資

 まず、今回のUAEの支援とは具体的にどんなものだったのか。支援については、今月19日、アブダビ首長国所有のエティハド航空が、人工呼吸器10台を含む16トンの医療物資を積載した航空機をパレスチナ支援のために飛ばした旨、UAE国内で報道された。 同感染症が中東地域に広がりだしてから数か月が経っているが、記憶にある限り、UAEはこれまでパレスチナに対しての支援は行っていなかった。筆者は時期も含め,この支援に対し後述のとおり、何か大きな意図を感じた。
 一方、イスラエルでも同支援について報じられた。パレスチナへの支援物資を積んだUAEの機体がイスラエルのベングリオン空港に着陸したというところが報道の肝だった。外交関係のない両国間で直行便が運航されたことは、公的に確認できる限り初めてとされており、これは両国関係を考える際に大きな要素となる。ちなみに同機はロゴのない無地の機体であり、UAE国内の報道では、イスラエルの「イ」の字にも触れられていない。
 UAE国内の報道では、UAE国連代表のラナ・ヌセイバ女史(父親はUAE国務大臣でエルサレム生まれのパレスチナ人、ザキ・ヌセイバ氏)のコメント及び中東和平特別調整官のコメントが記載されていたため、事前にUAEは国連とイスラエルと調整していたものとみられる。それにパレスチナ自治政府は同意していたのだろうか?
 結論を言うと、パレスチナ自治政府は同件について事前調整されていないことを主な理由として怒りを露わにし、支援の受け取りを拒否した。現地の報道からパレスチナ自治政府高官のコメントを要約すると「パレスチナ側と事前に調整が行われず、イスラエル側と調整された。パレスチナは、UAE-イスラエル関係の犠牲者にはならない、ということを示す」ということである。その後、拒否された支援物資はガザに送られるとも言われているが,筆者がこの原稿を書いている5月末の時点ではまだベングリオン空港に留め置かれている。なお,パレスチナ自治区とは,ヨルダン川西岸地区とガザ地区という2つの地区を指し,パレスチナ自治政府は両地区を管轄しているはずなのであるが,実際のところ,ガザ地区はハマスのコントロール下にある。ハマスを非難するUAEの物資が、ガザに向かう結果になるのは皮肉な話である。


3 移ろい行く「アラブの大義」へのコミットメント

 筆者はこの一連の動きを通じ、イスラエルに対するパレスチナの継続的な「抵抗」、それを支援してきたアラブ諸国の姿勢の変化、その変化に対するパレスチナの憤り、という近年より加速傾向にある両サイドの意識と姿勢のギャップに思いを馳せずにはいられなかった。
 1948年のイスラエルの建国宣言、パレスチナ人離散、そして第1次中東戦争以降数々の戦争でイスラエルとアラブ諸国が対立してきたことからも分かる通り、中東地域における基本的な対立構造は、イスラエル建国以降「アラブ対イスラエル」だった。しかし、70年以上が経った今、イスラエルに対抗し、国家建設を目指すパレスチナを支援する、所謂「アラブの大義」は完全に形骸化していると言わざるを得ない。イスラエルと幾度も戦火を交えたエジプトは、イスラエルと和平を結び、強硬にパレスチナを支援したサダム・フセインが統治するイラクは今ではもう過去のものとなっている。また多くのパレスチナ難民を抱えるシリアは、これまでにもパレスチナ難民の受け入れなどを通じて支援してきたものの、10年にわたる内戦で今や自身が深い傷を負い、その傷がいつ癒えるとも知れない状態である。ヨルダンは、人口の6割がパレスチナ難民であるという国内事情を鑑み、他国に比べてパレスチナ側に立つ発言をしているが、非力な同国にできることはどの程度のことであろう。
 そして今,中東地域において、実質的な「アラブの大義」の担い手は、自ら其の役割を標榜するイランやトルコといった中東の非アラブのイスラーム教国になっている。これまでにも「イスラームの同胞」として、パレスチナは「アラブの大義」を掲げるアラブ諸国からだけではなく、イスラーム教諸国からも支援されてきた。それは,中東域内だけでなく、旧ソ連圏、東南アジア、アフリカなど多くのイスラーム教国に及ぶ他,1988年のアラファト議長(当時)による「パレスチナの独立宣言」時に国家承認した(※実質的に独立した「パレスチナ国」には至らず)当時の東側諸国にも広く行き渡っており,現在,国家承認している国はおよそ140カ国にも上っている。(なお,イスラエルと関係の強い米国,G7諸国含む旧西側諸国の殆どの国は承認していない。)
 しかし、その「親パレスチナ」の代表格であったアラブ諸国の「アラブの大義」という地域の概念が弱まっていることは否定できない。これまでの「大義」の担い手の関与が薄まるのと並行して、その「大義」は,「宗教的な正義」という普遍的な宗教イデオロギーに昇華され、イランやトルコ、カタール等がパレスチナへの支援を大声で叫び,支援し,パレスチナ自治区,特にガザ地区には支援や影響力が浸透している。西岸地区でも,筆者が勤務していた2017年頃からトルコの国旗を良く見かけるようになった他,カタール基金の事務所なども存在していた。現在,大きくいうと湾岸諸国+そこに与するエジプト・ヨルダンなどは,ムスリム同胞団の色濃いトルコ,カタールを敵視し,またそれらの国と協力関係にあるイランの影響力拡大を阻止したいと考えているため,パレスチナにおけるこれらの国々の動き及びそれを許すパレスチナ人の姿勢が(もちろん実際に全体のパレスチナ人ではない),アラブ,特に指導者が「世俗的」なメンタリティーを持つ国々を苛立たせている。
 一方、アラブ諸国内において,「アラブの大義」に連動するパレスチナ支援を志向する気持ちは、それぞれの「国家」ではなく「民」の中にこそ生きていることは間違い。その「民」の反応を気にする「国家」が、国民からの反発を警戒して、実際にイスラエルとの間に協力関係があってもそれを表にはなるべく出さず、表舞台ではパレスチナへの支援を高らかに謳っている。先に挙げたトルコやイランに関しても、宗教的、人道的動機を理由に民衆を惹きつけ、自らの行為の「正当性」を担保するために「大義」を利用しているように思われる。


4 対イスラエル関係の変化

 「イスラエル・パレスチナ問題」の発生、そして「アラブの大義」という概念の登場から70年を経て、特に、パレスチナと近接していないアラブ湾岸諸国とイスラエルの関係にも変化が見られる。近年、アラブ湾岸諸国とイスラエルの間で人・物・技術の往来が活発化しているが、スポーツや文化、宗教という「ソフト」な側面が前面に押し出され(これはアラブ諸国側からの希望である)、国民の反応を見ながら慎重に、また時には大胆に交流が進めている。(具体的な一例は,当サイトの投稿をご覧ありたい)。 
 UAEでは,毎年,テーマを設定してその年の目標とするのであるが,2019年は異なる宗教や人種、文化を尊重することを目標に掲げた「寛容の年」であった。あらゆる宗教・人種への寛容をアピールするため,様々な取り組みが行われたものの,その中でも着目すべき点は,「ユダヤ教徒」との共存に向けた動きである。昨年,UAEでは「寛容」という表題を片手に、預言者ムハンマドがユダヤ教徒の女性と結婚したことや(※11番目の妻で,結婚に際しイスラームに改宗)、カイロからバグダッドに及ぶアラブ地域でアラブ人とユダヤ人が婚姻を重ねたことが公の場でスピーチされ、UAE国内のユダヤ人コミュニティへの支援を行い、そして一か所に教会、モスク、シナゴークを建設するプランをぶち上げた。この異文化への寛容を掲げる中で、イスラエルの閣僚のUAE訪問が実現している。文化や宗教への寛容、という観点から、昨年10月のイスラエルの祝日の際に、ムハンマド・アブダビ皇太子の弟のアブダッラ―外務・国際協力相が、ヘブライ語でお祝いの言葉をTwitterに投稿していたことも印象深い。他にも2020年開催予定だったドバイ万博の準備のために,イスラエル人数百人がUAEに入国しており,またこれまで非公式にユダヤ人旅行者にユダヤ教徒のためのコシェル料理を提供していた人物が,「寛容の年」に際する需要の増加に気づき,昨年2月に湾岸地域で初めてコシェル料理を提供するフードサービスを立ち上げたそうであるが,その設立に関わる記事は立ち上げから1年以上経った2020年5月末に報じられている。人々の反応をはかりながら,ユダヤ・イスラエルに関する報道をしているのであろう。なお,ユダヤ系メディアYeshiva World Newsは,UAEのユダヤ教徒人口は,150世帯もしくは2000人から3000人いると報じている。
 そして、もはやこのイスラエルと湾岸アラブ諸国との関係は、文化・宗教への「寛容」の看板の外にまで及んでいる。今年1月末には、UAE、バーレーン、オマーン各国大使がホワイトハウスで行われた「世紀のディール」の発表に立ち会い、ネタニヤフ・イスラエル首相が謝辞を述べたことは記憶に新しい。さすがにアラブの伝統的な盟主たるサウジアラビア、パレスチナと接するエジプト、ヨルダン、湾岸域内でもよりパレスチナ寄りのクウェート、そして現在域内諸国と断交中のカタールが同席しなかったのは納得であるが、表に出る諸国の動きは、人々の反応をみるリトマス試験紙のような役割を果している。昨年、UAEの新聞The National紙が、UAEのガルガーシュ外務担当国務相による、「遠い昔、アラブ諸国が、イスラエルとコンタクトを取らないとした決定は、とても間違った決断だった」という発言を報じていることも同国の姿勢を示す参考となろう。UAEは,湾岸の大国・サウジアラビアの代わりにリトマス試験紙的な役割を自らの意志を持って果たしているが,サウジアラビアでも,今年5月のラマダーン期間中に,イスラエル建国時に湾岸地域に居住していたユダヤ教徒の苦悩に焦点を当てるドラマが放映されている。これまでユダヤ教徒を「悪魔」的に描いていたアラブのTV・映画産業において,このような描き方は画期的なことであるが,もちろん「サウジアラビアとイスラエルの関係を示す証拠だ」としてパレスチナ人の本ドラマボイコットを引き起こした。
 「アラブの大義」に対する姿勢の変化には様々な理由が挙げられるが、以下では、(1)対イラン、(2)イスラエルの技術力、(3)「未来志向」、(4)世代交代の4点につき考察してみたい。
 (なお実際はアラブ湾岸諸国の間でも「アラブの大義」に対する認識、コミットメントに差はあるが、数カ国と断交中のカタールを除く湾岸協力機構(GCC)諸国は、サウジ・UAEに率いられており、イランと関係の深い国もあるものの、結果としてある程度一蓮托生の運命にあると筆者は認識している。)

(1)対イラン
 王制で統治しているアラブ湾岸諸国にとって、対岸で革命の輸出を唱えるイラン「革命」政権は非常に脅威であり、同時にイスラエルにとっても自国を「消し去る」と言い放つイランに対する脅威認識は、アラブ湾岸諸国のそれと完全には一致しないまでも、共有できる意識部分があることは否めない。(※アラブ湾岸諸国とイランは隣国であることもあり、災害時やコロナ等の感染症の流行の際などの相互支援体制や当局間のチャンネルは維持されているものの、自国の安全保障にとって脅威となるイラン現政権の行動は好ましくない)。レバノンでは、レバノン内戦時に組織されたシーア派組織ヒズボラを通じてイランはその影響力を確固たるものにし、イラクでは、イラク戦争中からその後の混乱の中で力の空白ができていた同地において、シーア派民兵等を駆使して影響力を深め、更に、このレバノン・イラクの二国に挟まれ、イランから地中海に向かう北回廊上にある内戦状態のシリアをも自国の勢力圏に入れようと活動を続け、それはある程度の成果を上げている。また、サウジ・UAEを筆頭に、アラブ諸国が「フーシー派」、「過激派」打倒を目指して奮闘するイエメンにまで勢力を広げ、関与の差はあれども、トルコ、カタールなどとも組みつつ、夫々の地域で主要湾岸諸国と対立し、代理勢力を通じた戦闘を繰り広げている。
 国際情勢が変化し、米国との関係性も変わる中、昨年は、UAE領海付近で複数のタンカーが攻撃され、果てはサウジアラムコの石油施設が攻撃を受けるなど、アラブ湾岸諸国にとって多難の年であった。域内でも強大な軍事力を持ち、兵士・民兵の戦闘経験からいっても中東随一であり、また対岸に聳えるイランに対して、誰も下手に手を出すことはできないという状況の中で、アラブ湾岸諸国は改めて目の前のイランという存在を思い知らされたことであろう。なお、今年は、米軍によるコッズ部隊のスレイマニ司令官の殺害及びシーア派を通じたイランの影響力の浸透が甚だしい隣国イラクの「イラク人民動員隊」のムハンデス副司令官が米軍の空爆を受け死亡するという事件と共に幕が上がったものの、イランによる在イラク米軍基地攻撃で一応手打ちになった感があるが、同地域で展開された一連の動きは、アラブ湾岸諸国にとって、自国の安全保障含め色々と考える機会になったはずだ。

(2)イスラエルの技術力
 上のような理由で、特にUAE、サウジはイスラエルの軍事技術力にも高い関心も持っていると考えられる。先端技術分野でいうと,筆者はイスラエルのITセキュリティ会社で働く友人から、顧客にサウジアラビアとUAEがいる旨、耳にしたことがある。UAE、サウジは、近年欧米から武器禁輸措置をとられるという経験をしていることから、両国が武器の輸入先の拡大や、最先端の軍事装備品を必要としているということは、限られた人的資源の中(もちろん自国民だけでなく、他国民を雇い戦争に参加していることは言わずもがなであるが)、各地域で効率的に戦争を行うという観点から言っても容易に考えられることである。
 また、UAE、サウジ両国は国土の殆どを砂漠が占めていることから、資源である海水の脱塩化や国内の緑化政策、食料自給などの民生技術の面においても、イスラエルの技術力は魅力的である。イスラエルは湾岸より緑・水資源には恵まれているものの限られた土地の中で、パレスチナ・ゴラン高原の資源を搾取しながらも、一から国家を建設、運営しているからである。
 また今月初旬、イスラエルメディアにより、UAEを含む湾岸3カ国が、新型コロナウィルス感染症のためのワクチン開発やデータに関する協力をイスラエルとの間で促進していると報じられていたように、湾岸諸国は様々な分野でイスラエルの技術に関心を持っている。
 そしてこれまで中東で一般的に「孤立」していたイスラエルにとって、「友人」風、もしくは協力できる相手が増えることは、自国の安全保障の観点からいっても非常に心強く、また国際社会に向けてのアピールにもなる上、パレスチナ国家の有名無実化に向けた障害の減少にも繋がっていく。そのため、アラブ諸国がイスラエルとの関係を目立って報じない、もしくは言い訳をつけながら慎重に報じる一方、イスラエルはアラブ諸国との関係を実に嬉しそうに報じている。

(3)「未来志向」
 アラブ湾岸諸国の中でも、特にUAEの指導者たちは、冷静に、現実に即し、また道徳的な外交・内政運営を前面に打ち出しており、そのプラクティカルさによって、様々な人種の集まる同国をまとめている。その指導者たちは度々、これまでの「過去の偉大なる時に縛られた」アラブ諸国の愚かさ、失態、それに基づく後退について痛烈に批判している。「世紀のディール」発表後、UAEの高官による「パレスチナの国家建設は、新たなアラブの失敗国家を生むことになる」との発言は、筆者にとって衝撃的であった。
 UAEは、これまでの「慢心により、失敗を重ね、後退してきた」アラブ世界から脱し、西側諸国からも、世界からも認められるような国造りのために邁進している。その姿からは、アラブ世界を過去から脱却させ、未来に向かう、21世紀国家形成モデルの導き役たらんとする意志を感じずにはいられない。

(4)世代交代
 パレスチナ問題への比重の置き方の変化には、世代交代という側面も関係あるのではないかと思う。2018年4月、サウジで開かれたアラブ首脳会議で、ホスト役のサルマン国王(1935年生)は同会議を「アルクッズ(エルサレム)サミット」と名付け、「近くにいる者も遠くにいる者も、パレスチナとその人々のことを忘れはしない」と訴えた。またアラファト議長(1929年生)と同時代を生きたUAEの初代指導者ザーイド首長(1918年生)の時代には、パレスチナ問題に関する教育も推し進められ、各首長国首長の妻などもパレスチナに対し寄付金を送っていたという記録も残っている。第二次インティファーダ中の2002年、パレスチナのジェニン難民キャンプがイスラエル軍の侵攻により破壊された際、ザーイドは支援を表明し、800世帯が再建された。現在ラマッラーにあるシェーク・ザーイド病院も、UAEの支援によるものだ。
 ただ、湾岸戦争でイラクが湾岸諸国の1国クウェートを侵攻した際に、アラファト議長がイラクのサダム・フセイン大統領(当時)のもとを訪れ、連帯表明までしたことをUAE人は忘れてはいない。またUAEが目の敵にするカタールによるパレスチナ国内での支援を、UAEが不快に思っていることも、ここに記しておく。
 何れにせよ、戦争を体感もしくはリアルタイムで目撃した者とそうでない者とでは、気持ちの入り方が違う。パレスチナ国内でも、実際に1948年のイスラエル建国からナクバを体験した人と、イスラエル建国後にイスラエル国家の地に生まれたパレスチナ人(ここでは現在も占領継続中のヨルダン川西岸地区およびガザ地区出身者は指さない)の意識の差に驚かされる。
 湾岸諸国の指導者を見ると、クウェートのサバーハ首長(1929年生)、サウジのサルマン国王(1935年生)以外は、皆日本で言う戦後世代である(なおバーレーンのハマド国王は1950年生まれ)。サバーハ首長(1929年生)が統治するクウェートは、指導者の姿勢も影響しているのか、「世紀のディール」発表後、その紙を議会議長が破り捨てる姿が報じられる等、他のアラブ湾岸諸国に比べ強い姿勢を示してはいるが、サウジのムハンマド皇太子(1985年生)といい、カタールのタミーム首長(1980年生)といい、各国で指導層の世代交代が進む中、パレスチナ問題への関与も変わってくるのではないかと思う。
 ※カタールのパレスチナ関与は、ムスリム同胞団支援、トルコ、イランとの協力関係、他のアラブ湾岸諸国との対立関係などの側面から深くなっているとも言える。現在、同国からパレスチナに対する支援は、ハマスがコントロールするガザ地区に集中している。
 ※故ザーイド元首長の息子でUAEの実質的指導者・ムハンマド・ビン・ザーイド・アル・ナヒヤーン・アブダビ皇太子(1961年生)などUAE指導層は、「人道的な側面からパレスチナを支援」しつつ、「未来志向」の政治的動きを両立させるつもりであると考察する。
 ※今年初めに亡くなったカーブ―ス・オマーン前国王(1940年生)の跡を継いだのは、ハイサム国王(1954年生)。

 繰り返しになるが,中東政治におけるパレスチナ問題の重要性および地域国の関心は、ある時期に比べ格段に下がり、夫々の国の内政・外交の政治ツールとしての一端を担うのみになっているように感じられる。ただ、イスラーム諸国民の中に「アラブの大義」は生きており、各国政府も市民の顔色を窺っている節はある。それが政治家たちが表立って舵を切らず,慎重に物事を進めている理由でもある。


5 結び:UAEからパレスチナへのメッセージ

 これまで見てきたように、UAEをはじめとする湾岸諸国とパレスチナ、イスラエルの関係は、言葉と実態が表面そして水面下で交差し、複雑な模様を描いている。
 今月19日の支援機が飛び立つ2日前、UAEの新聞に「パレスチナ人は団結してネタニヤフに対抗すべきであり、団結は、アラブ諸国及び世界から必要な支援を得るための前提条件である」と題する論説記事が掲載された。アラファト議長及び第二次インティファーダ時代のパレスチナ人の団結と比較して、現在は団結が欠けており、その理由としてハマスの存在を挙げ、キャンプ・デービットにおける決裂、第二次インティファーダ、そして最近のエルサレムを首都とする宣言とアメリカによるその承認、この度の西岸地区併合宣言を挙げ、いかに我々(イスラエルに対抗するもしくはパレスチナを支援するアラブ世界)がこの20年の間に後退したか、と述べた上で、結びにおいて表題を繰り返し、文を締めている。なおUAEの新聞は政府の意向に反することは掲載しない。
 一方、10日に、ムハンマド・アブダビ皇太子の弟のアブダッラ―外務・国際協力相は、ネタニヤフ・イスラエル首相が、「アラブ諸国がイスラエルによるパレスチナ併合を実質的には受け容れるだろう」と発言したことを否定し、非難する声明を出している。
 イスラエルとの協力体制を強め、「世紀のディール」発表の場所にも立ち会うなどしたUAEの動きを総合して考えると、UAEとしては、「アラブの大義」を表面的にも保つため、パレスチナ支持を継続するが、パレスチナはアラブ世界からの支持を得るために、自らの抱える問題(それが何を意味するかというところが重要であるが)も解決し、かつパレスチナは「世紀のディール」にもコミットすべき、というメッセージを送っているのではないかと思う。
 これまでにも世界の国々は、イスラエルと国交を結び実質的に協力する一方で、イスラエルのパレスチナ政策を批判し、パレスチナへの援助を行ってきた。UAEをはじめとする湾岸諸国もその方向にシフトしているということだろう。ただ後ろ支えをどんどん失っていくパレスチナの悲しみと憤りははかり知れない。
 パレスチナ人の友人にUAEからの支援物資拒否に関し、「自治政府の支援拒否について、パレスチナ人は支持しているのか?」と訊いたところ、「もちろん私たちは支持している。他の国からの支援は、イスラエルを経由しても受け入れるが、アラブ諸国からの支援はイスラエルを通るのであれば絶対に受け入れない。彼らは今後必ずイスラエルに大使館を設立する」と語気を強めた。なお支援物資が送られた時点でヨルダンとパレスチナ西岸の国境は閉鎖されていたため、ヨルダンを通じた支援は不可能であった。パレスチナとしては、特にアラブ世界はパレスチナの側に立ち続けるべきであり、イスラエルと協力することは途轍もない裏切りと映る。「尊厳」に重きを置きこれまで「抵抗」し続けてきたパレスチナ人は、もうその戦いが1人になったとしても、当事者として進み続ける、Point of no returnなのだ。
 UAE国内にはUAE人、パレスチナ人含む多くのアラブ人口が存在する。UAEでは、パレスチナの困難について毎日のように新聞に掲載されている。一方で筆者は、UAE人内にはパレスチナ人に対するフラストレーションがあるのではないかと感じることもあった。「自分たちはパレスチナ問題について教育を受け、シンパシーを感じ、これまで多くの支援をしている。しかし、毎回パレスチナ人から非難される。支援しているのに、反対に石を投げられているようだ。」と、疲弊感をUAE人の友人は示した。支援物資が拒否された件についても多くは語らず、ただ「Shame」とのことであった。面子を潰されたということであろうか。

 経験は限られているものの,筆者は、2015年から2018年までパレスチナで、昨年からはUAEで勤務している他,イラン・トルコ,アラブ諸国を含む中東地域への渡航・滞在経験を通じて,出来るだけ多くの人の話を聴き、国同士や地域内で折り合えるポイントなどを自分なりに模索している。しかしながら、ことパレスチナ問題に関して言えば,その発生から70年以上が経った今、世界は大きく変わり、同時に中東情勢や勢力関係もドラマティックに変化している中で,パレスチナ国内、アラブ世界の分離は急速に広がり,力強く訴えられる言葉と実態の乖離はます一方である。悲観したくはないのだが,様々な側面から見れば見るほど,現時点において,筆者の中でパレスチナ問題の解決への道は見出されていない。


(以上)




















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