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中東和平



中東イスラム世界 社会統合研究会 中東和平

現地ルポ:
オリーブの木の下にてパレスチナ人、ユダヤ人と

平成30年(2018) 9月25日
本田圭




 パレスチナ・イスラエル間の問題というより「人々の営みの中に散りばめられた素敵要素について書きたい」と、かわいいお花柄陶器でも紹介しようかと思ったが、筆が一切進まない。なぜなら、この地においては、何を書こうにも紛争的要素の説明を避けることは出来ず、更に立場によって、意見が大変異なる地であるので、文章の一つ一つに気を遣ってしまうから。


 と思い悩んでいる時に、東エルサレム出身・在住のパレスチナ人のハレドに「トニー・ブレア元英国首相がバルフォア宣言について話すから、行こう」と誘われたので、「ブレアがバルフォア宣言について何を語れるんだ」と、皮肉な気持ちをかっさげて行ってみた。場所は西エルサレムのユダヤ人地区。ハレドは父親の代からの翻訳家。幼少時に、賃貸費が安いとかなんかで、ユダヤ人地区に住み、ユダヤ人の子供たちと遊んでいたのでヘブライ語が話せるようになったそう。


 ヨルダン川西岸に住んでいるパレスチナ人が接するイスラエル人といえば、検問所や村の家に押し入る兵士、もしくはパレスチナの土地にどんどん建てられる入植地に暮らす入植者である一方、ユダヤ人が暮らす西エルサレムの隣にある東エルサレムに住むパレスチナ人は兵士以外のユダヤ人とも接する機会がある。双方が出会った時、どの言語で、どういう態度で話すのか、国同士が相反する中で、個人レベルでどう接するのか、、私はそういったパレスチナ人とイスラエル人のやり取りをとても興味をもって見ている。


 ハレドは、ブレアの会場でも、知らないユダヤ人と気さくに話していた。(ちなみにブレアの講演の中で大して印象に残る話はなかった)。ハレドがコーヒーを頼みに席を立った時、私の隣に座っていた女の子が、私に話しかけてきた。レウト、18歳。ユダヤ人の彼女は高校を卒業したばかりで、昨日から、ホロコーストを語り継ぐ団体でボランティアを始めたそう。


 席に戻ってきたハレドは、さらっと会話に加わり、自己紹介を始めた。会場の外にいた私たちはスクリーンに映し出されるイスラエル諜報特務庁モサド勤務で、前外相のTsipi Levniの話にほとんど耳を傾けることなく、ついには外にでて、オリーブの木陰のベンチに腰掛け、その後1時間以上話をつづけた。


 レウトは、パレスチナへ「平等」を唱える左派が殆ど白人ユダヤ人で、イスラエル内の移民の状況などには積極的に動かず、説得性に欠けるため支持を失っていること、兵役に対する考え、また左派でも、パレスチナ人を理解しようという気持ちに欠けるため、議論に限界がある、と思っていることなどを忌憚なく話してくれた。またパレスチナとイスラエルとの問題について、積極的にハレドの意見を聞こうとしていた。


 ハレドはユダヤ人との接触の中で印象に残った話をしてくれた。


 「ある日、一人のユダヤ人の年配女性が『鍋を運んでくれないか』と話しかけてきた。自分は『自分はパレスチナ人だけど大丈夫?』と聞いたところ『知っている』との回答。車で鍋を運んでいる道すがら、ふと女性が話を始めた。『昔、パレスチナ人の友達がいたんだけど、第一次インティファーダの時にイスラエル兵が家に押し入り、撃ち殺された。でもそれは兵士が家を間違っていたの。未だにそのことが忘れられない』と。


 パレスチナ人と日々接している私としては、イスラエルのパレスチナ人への対応を肯定することは難しい。でも、何がもどかしいかというと、人同士の交流があったころを知る人は、「パレスチナ人だから」「ユダヤ人だから」ということで非難はしない。


 先日私がイスラエルの大学でイスラム過激派についての夏期講習を取った話をパレスチナ人にしてみたところ、頭から批判された。そして、若いユダヤ人に私がパレスチナの事務所で働いている、というと、はっとした顔をされ、「パレスチナ人は危なくないか」との質問を受ける。


 一方、年配のユダヤ人と話すと「昔はラマッラ(現在のパレスチナ見なし首都)に行けて、友達もいたんだけどね」「ガザの眺めのいいレストランにまた行きたい」というような話をしてくれる。 これらの反応が仕方ないことは、十分わかっているが、こういう時に「国家」の意味合いについて考えてしまう。


 ハレドは現在のパレスチナ、イスラエルという枠組み間で発生している紛争というよりは、自分の個人的な実体験を以てして、ユダヤ人に接しているし、彼も意図して、個人レベルで物を見ようとしているようだ。


 彼に翻訳者になった動機を聞いてみたことがある。


 「アラビア語からヘブライ語に、ヘブライ語からアラビア語に。架け橋になれるから」とはにかむ笑顔で言った。 別れ際、ユダヤ人の少女レウトは、人との関係性を続けることが苦手だというので、「安心して、私たちが連絡するから」というと「安心した。私は2つの良い手と共にいるのね」と。 彼女と別れた後、ハレドが一言。「『2つの良い手と一緒にいる』と言った意味わかった?あれはヘブライ語?の表現で、本当に自分たちを信頼していて、安心している、ということだよ。その言葉を大切にしなきゃね」と。


 ハレド、2つの言語を繋ぐもの。両言語をよく解しない私への架け橋になりつつもあるよ。


(以上)




















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